福祉のこと

ソーシャルワークの定義と二重拘束性

今日は朝から子供への声かけの仕方や妻への私の態度で口論になってしまいました。

言って後悔するのに、いらんことを言ってしまうのって、どうして止められないんでしょうか。

「嫌われる勇気」の中で、怒りは感情ではなく、自分の意思で怒っている態度を選択しているだけといった話がありましたが、それ本当なんかなぁ~と疑い、自己嫌悪に陥っております。

500万部も売れてるなら、やっぱり(悪いのは)俺なのか~と、ため息っす。

 

暗い話はさておき、今回は、ソーシャルワーカーの定義と二重拘束性について、頭の中を整理していきます。

1.ソーシャルワークの定義

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義を確認します。

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。

社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。

ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。(2014,IFSW及びIASSWメルボルン大会で採択)

「ちょっと何言ってるか、分かんない」

サンドイッチマン風にならざるを得ないくらい、ムズッ!ですね。

ミクロ(直接支援)からマクロ(社会全体)までを対象として働くということかと思っています。

そして、何よりソーシャルワークは実践に基づく学問であるということです!

この文言が私は好きです!

ただこういった個人や社会に向けた定義によって、私の個人的な思い込みもありますが、経営の視点や知識が薄い傾向になっていると思っています。

一応、社会福祉施設運営管理の定義もご紹介します。

アドミニストレーションは、その組織の構造・運営規定を調整し、また職員の勤務条件その他の整備をはかるなどして、その組織目的を完遂し、また、目的そのものも社会変動に伴う地域住民ニードの変化に対応するよう検討し、修正する働きなど、多面的な1つの組織活動を指す。          出典:重田信一「アドミニストレーション」1971

「ちょっと何言ってるか、分かんない」

この場合にも運営についてのみで、経営については触れられていないんです。

今まで幅を利かせていた社会福祉法人・NPO法人系が、株式会社に駆逐されつつある要因じゃないかなと思っています。

 

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である 二宮尊徳

二宮パイセンの言葉、沁みるっす!

この言葉にすべてが詰まっていますよね。

2.クライアントと所属機関の双方に応える役割の二重拘束

ソーシャルワーカーは、クライアントの思いに応えるというソーシャルワークの根幹と雇用される立場の二重拘束性があります。

この点が、ソーシャルワーカーのジレンマの真理と思います。

「PSWが医療社会の中にあって役割の自己矛盾に陥り、二重拘束のきわみの中で苦労してきた と自覚する」

「自己矛盾に陥らず、二重拘束を意識できずに活動しているPSWは、精神障害者の不幸を当たり前と容認していることになり、厳しくいえばPSWとしての専門性が微塵も認められない」

門屋充郎「組織の方向性」社団法人日本精神保健福祉士協会事業部出版企画委員会編

『日本精神保健 福祉士協会40年史』中央法規出版

「絶えず資格とか制度化されたものを超えるソーシャルワークなるものとの間を行き来していないと、 精神保健福祉士という資格そのものが生きてこない、あるいは成長しない」

柏木一恵(2010)「精神保健福祉士の地平」『精神保健福祉』

諸先輩方の意見としては、ジレンマを抱えないことは、ソーシャルワーカーにあらず、といった意見です。

ちょ~マッチョ!

ただ、頭では理解できるのですが、その高度な専門性を持つことも、担い手を育てることも、めちゃくちゃムズいじゃん!というワタスの感想です。

個人の努力だけでは太刀打ちできる領域にないと思います。

ここでもやっぱり、コミュニティ、メンター、仲間などを持ち、考えを言語化、磨き上げながら、自分の立ち位置を確認するしかないのではないかと思います。

人のつながりの中でしか成長できない、そう、妻との関係も然り、あしからず。