福祉のこと

現在のソーシャルワーカーが学ばなくなった理由一考察

突然どうしたの?
10年前の研修資料とか整理していたら、熱くなってきてね
みんな勉強していると思うけど、偏見すごくない?
それは、あなたの感想ですよね

職域が確立した今、危機感は持ちづらい

私が15年以上前に、病院へ入職した際には、県内においても10名程度のソーシャルワーカーしかいませんでした。

医療機関にソーシャルワーカーが配置されていることの方が珍しかった時代です。

看護師さんからは、「ソーシャルワーカーさんって何するんですか?」と質問されたことを覚えてます。

嫌味じゃなくて、シンプルに分からなかったんだと思います。たぶん。。

なんせ、ソーシャルワーカーとして採用されていた私も答えられない状況でしたので(泣)

めちゃくちゃ肩身も狭くて、自分たちの部屋なんてないですし、事務の方々がいる1つの机が自分たちの部署って感じでした。

そうなると想像してみてください!

まず私は何をするんだ?って話じゃないですか?

会社から求められることは(ほとんど)なくて、自分の仕事が確立していない。

そうすると、組織の中で、自分の役割や価値を見出そうとするじゃないですか?

でも、ついこの前まで学生だった自分が、大きな組織の中で、存在感を出していくのって難しいんです。

「同じように悩んでいる人いないかな」、「ちょっと前を走っている人はいないかな」、「そもそも他の病院のソーシャルワーカーはどんな仕事をしているのかな」って、疑問が沸いてきました。

だから今は存在価値が低くなっている(と感じている)、職能団体、○○協会に参加しようと思うんです。

休みの日に研修に行きまくって、つながりを作って、情報を収集して、って感じでした。

俺の若い頃はこれぐらいやってたんだみたいな老害発言になってますが、現在のソーシャルワーカーの立場はいかがでしょうか?

おそらく、医療機関には複数名のソーシャルワーカーが配置され、先輩もいて、さらに業務内容が決められていて、組織からも一定の理解と期待を受けているのではないでしょうか。

つまり、職域が確立された現代のソーシャルワーカーは、危機感を持ちにくく、主体性を持った仕事がしにくい、学ぶ必要もないという構造なのではないかなぁと感じます。

ソーシャルワーカーが、ごく一部の社会に受け入れられ、確立できたという見方もできるかもしれません。

ただ、これから10年、20年経過していく中で、ソーシャルワーカーがさらに発展していくイメージが正直持てません。

これからどうしていくのが良いかまったく見えませんが、私としては、ソーシャルワーカー業界から片足を抜き、他の業界に飛び込んでいく所存です。

そこで何らかの化学反応がおきれば良いと願って。

私がソーシャルワーカーに魅力を感じるわけ

愚痴っぽくなっても仕方ないので、ソーシャルワーカーってこういうことだよねっていう資料が出てきたでの、共有します。

後半は震災被害の重低音が響く。中でも沈鬱なのは、津波から逃げる際に腕に抱いた娘が窒息死してしまった母の逸話だ。娘の重みが消えない腕を切断してくれ、と 号泣する母の苦悩は誰も肩代わりできない。その無力感を引き受け、謙虚に寄り添う他者がいて初めて、止まっていた母の時間が動き出し、新たな人生の物語が紡ぎだされると説く。

「人は独りでは生きられない。他者あっての自分です。人の痛みを完全に理解するのは無理でも、手を握り、肩を抱くことで、命は支えられる。・・」

引用:柳田邦男「言葉が立ち上がる時」(京都新聞平成25年8月25日)

生きることは楽しいことだけはない。

それは誰もが知るところです。

予期しない病気や事故、天災に遭うこともあるでしょう、自分ではない大切な人に起こるかもしれない。

その厳しい嵐のような現実にも、立ち続けるソーシャルワーカーでありたいと思って、これまで続けてきました。

人として成長できる仕事だと今でも思いますし、情熱だけではなく、膨大な知識や専門技術も必要になります。

常にアップデートを繰り返さないといけないし、患者や利用者から攻撃されることもあるし、それでも人の生き死に、人生、その人が生きた証明者になれるソーシャルワーカーでありたいと思います。

また恩師、同志達に会うまで、精進です。